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 大空の安全を見つめ、快適なフライトを実現する「航空管システム」開発のプロ
【近 一也 1999年入社/33才/主任】
プロフィール

入社後、国土交通省航空局管轄のシステム開発に、プログラマとして従事。それ以来航空管制の様々なシステムを手掛け多様なプロジェクトに参画。2003年からは洋上空域における航空機同士の接近探査の機能を任され、主軸となる開発を行ってきた。現在ではその技術がが認められ、次世代の航空管制システムの設計に携わっている。

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プロローグ

<右も左もわからない自分>

もともと、システム開発という仕事は、どういったことをするのかすらわからなかった。パソコンもろくにつかえなかった。それがいつの間にか”プロ”のシステム・エンジニアになっていた。活躍フィールドは大空を支える航空管制システム。入社以来、多様なシステム開発に携わり、今ではシステム開発をけん引する立場にまでなっていた。ここにわが社の「近 一也」が、”プロ”に至るまでの苦闘と歓びの足跡を紹介する。日本の空には、さまざまな航空機が行き交う。今や生活するうえで欠かせない乗り物となっている。それらすべての航空機がフライトプランに基づき、万全を期したうえで大空を飛行する。そして、その安全運航を見つめ支えるのが航空管制システムだ。わが社はこうした分野のソフトウェア開発において、長年の実績を誇ってきた。近も入社以来、この分野のシステム・エンジニアとしてキャリアを積んできた。





もともと、コンピュータに精通していたわけではない。まして、システム開発の意味すらわからない。プログラミングの意味すらわからない。ゼロからの出発であった。当初は何度も上司に叱責され、辞めようと何度も思った。しかし、経験を重ねるたびに仕事の本質が見えてきた。”お客様の課題をシステムで解決すること”。それが、システム・エンジニアの本質であることに気付いた。それからは、お客様の立場で物事を考え、いつしかプロフェッショナルとしての自覚が備わっていた。入社後4年目の春のことである。近にさらなる試練が待ち受けていた。それは、「洋上管制表示システム」と呼ばれるシステム開発の参加要請であった。

<任されたからには…>

レーダー覆域外の太平洋上を飛行する航空機から、現在の位置情報が衛星を介して送られてくる。この位置情報から航空機の今後飛行する予測位置を計算し、あらゆる情報を表示する。これが、「洋上管制システム」である。

近が任されることになったのは、衛星を介して送られてくる位置情報をもとに航空機同士の接近状態を判断し、管制官にその状況を提供するといった重要なものであった。これまで、大規模システム開発を担当したことのない近にとって、何もわからない状態からの出発だったが、緊張感とともに新しいことへの挑戦、それを成功へと導く期待感も高まっていた。開発期間は1年、その間に詳細設計、プログラミング、そしてシステムテストを完成させなければならない。1年という期間は決して永くはない。”任されたからには絶対に成功させてみせる"と、近は意気込んでいた。

<「何を聞いてよいのかわからない。」胃の痛い日々が続いた>

つまづきは意外に早くやってきた。航空専門用語に加えて特殊な業務内容が多すぎる。小規模のシステム開発は経験があり、多少なりとも自信はあったが、見事打ち砕かれた。専門書を片手に一つ一つの用語を調べながら理解していくが、仕事は待ってくれない。上司に相談したいが、何をどのように聞いてよいのかもわからない。徐々にスケジュールにも遅れが出始めていた。次第に、仕事に追われる日々が続き、モチベーションも低下し落ち込んでいた。仕事をしつつモチベーションをどうしたら高められるのか近は悩んでいた…。







<あのときの上司の言葉>

そんな中、上司の言った言葉に救われた。それは、「わからないのは当然だ。だから何回でも同じ質問をしていい。わかるまで何度でも質問をしてくれ」。という言葉だった。これまで、口べたの自分にとってどのように聞けばよいか悩むばかりで、結局はわからずじまいで終わってしまうことが多かった。また、同時に自分の担当する仕事の持つ重要性について何度も教えられた。

「システムがストップすれば、たとえ航空機に問題はなくとも飛び立つことはできない。」
「システム・エンジニアの仕事は単にシステム開発をするだけではない。」
「お客様のニーズを聞き、それをシステムとして実現することが仕事の本質である。」
…これをきっかけに、スケジュールの遅れが解消されていった。その後、システム開発は順調に進み、スケジュール通りお客様納入が無事完了した。上司から「よくやったな」と、声をかけられ近は、「ありがとうございました」と、答えると同時に、さらなる成長を目指すことを心から誓った。

エピローグ

航空管制システムは大きな転換期を迎えており、次世代の航空管制システムの開発がすでに始まっている。近も現在、次世代航空管制システムの開発プロジェクトに参画し、航空管制システムに携わる”プロ”として、着々とそのキャリアを築き上げている。冒頭でも述べたとおり近は、もともとシステム開発に興味があったわけではない。だが、入社から14年が経過した今、この仕事に就いて、「本当に良かった」、と率直に思っている。航空管制という業務、それをシステムで支えるミッション、それらをお客様と一体となって作り上げている実感。どれをとっても面白い。時折、出張で飛行機に乗ることがある。自分の手掛けたシステムに見守られている実感があり、他の人とは違う意味で心地よいフライトを味わっている。しかし、それで満足しているわけではない。日々、進化発展するコンピュータの世界に身を置き、それに追随しながら、お客様に対してベストのシステムを提供すること。それが今後も変わらぬ近の目標である。「私は、まだ修行の身だ」と、語る近の口調は、天職に就いた者の力強さを感じた。



 大手T社でいつもサーバとネットワークを厳しい目で見守っています
【加藤 稔章 2002年入社/34才/主任】
プロフィール

入社後、加藤は大手T社に常駐し運用管理の仕事を任された。初めは、パソコンのセットアップやメンテナンス、備品の調達などで毎日が同じ作業で退屈な日々が続いた。その後、入社5年目、会社に直訴しプログラム開発のプロジェクトに参画することになる。プログラム開発では、業務について覚えることが多く、スケジュールも過密で忙しい日々が続いた。しかし、それだけにやりがいもあった。この間2年が経過し、プログラム開発も終わりを迎えると、プロジェクトの規模も縮小され加藤は再び大手T社の運用管理の仕事を任された。昔の経験も生かされ、パソコンなどを通し直接ユーザと接することも多くなり、信頼も厚くなってきた。その後サーバの入れ替えやシステムの移行などの大規模の作業では、加藤はなくてはならない存在となっていた。

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プロローグ

<平凡すぎる毎日>

入社して、社内教育を経た2か月後、加藤は大手T社での運用管理の作業を任されることになった。まだ、社会人1年目で、この業界の作業についてもよくわからず、運用管理とはどのようなことをするのか不安でいっぱいだった。作業はサーバの管理、社内ネットワークの監視、パソコンのセットアップならびにメンテナンス、備品の管理や調達などであった。初めは大変な作業と思っていたが、月日が経つうちに仕事にも慣れ、忙しい日もあったが、ほとんど毎日が、朝社内のサーバとネットワークのチェックを行い、問題なければ、あとはユーザからのヘルプ対応のみであった。このような日々が毎日続き、1日が永く感じるようになっていった。加藤の希望は運用管理の作業ではなく、プログラム開発の作業であった。加藤は、プログラム開発作業を諦めることはできなかった。

<プログラム開発作業への転機>

加藤は、上司にプログラム開発作業を行いたいことを思い切って直訴した。ちょうどそのころ、わが社で行っていた、この同じ大手T社の開発物件がピークを迎えていた。加藤は、上司の計らいで難なく当開発物件のプロジェクトに参画できることになった。プログラム開発は自社での作業となり、運用管理の作業とは異なって、忙しい日々が続いた。朝、出社するとパソコンを立ち上げ、ロジックを考案しながら画面に向かってプログラムを必死に打ち込んでいた。また、業務についての知識もなく覚えることが沢山あった。学生時代に加藤はプログラミングの勉強もしており、いくつかプログラムも作成している。多少自信は持っていたが、学生時代に習ったプログラミングと作業で行うプログラミングとでは技法なども異なり、またプログラム言語自体も数段進化していた。加藤は、プログラム開発という作業をあまく見ていたのかもしれない。しかし、毎日遅くまでの作業で、周囲に迷惑をかけまいと必死に作業をこなしていた。



プログラム開発の作業も終盤を迎え、作業に携わってから2年を過ぎようとしていた。プロジェクトも縮小化され、会社の方針により、加藤は再び運用管理の仕事に戻ることになった。

<運用管理作業としてのプロ意識>

加藤はユーザからの切なる要望もあり、再び以前行っていた運用管理の作業を行うことになった。加藤は以前と同じように、また長い1日となる作業を予想していた。確かに、作業としては同じだが、プログラム開発を行ってきたせいか作業もロジック的に理論を見据えて計画的に行うようになっていた。
ある日のことである。この日は、ファイルサーバの入れj代え作業があった。この作業は、今まで使用していたファイルサーバの容量が足りなくなりつつあるので、容量の大きいファイルサーバに移行するものだった。当然、加藤はこの移行作業の中心メンバとして参加していた。まずは、容量の小さいサーバから容量の大きいサーバへのコピーから始まった。ここで問題が発生した。コピー自体はできたのだが、アクセス権が解除できずにデータの更新ができない。時間が刻々と過ぎていく。運用に支障をきたすようなことはあってはならない。加藤は焦った。この時だった、この状況を知った出先にいた先輩からの電話だった。その先輩からの的確な指示で、どうにかアクセス権も解除でき、データの更新も無事終わった。加藤は、ほっとしたと同時に額からの汗をぬぐっていた。
加藤は、この時の失敗を機に、勉強をするようになった。常に何が起こるかわかららない。加藤は、作業の合間を縫って必死に知識を深めていった。理解ができてくると不思議に次のステップが見えてきて、興味も深まり面白くなってくる。日々の作業にも幅がでてきた。加藤はいつしかプロの顔になっていた。

エピローグ

今や企業にとって、ネットワークやサーバおよびパソコンは欠かせないものとなっている。また、常に進化を続けている。と、同時にセキュリティについても細心の注意をそそがなければならない。加藤も大手T社にて、構内に張られているネットワークおよびサーバ、ユーザの保有するパソコンについて安全に稼働されているか日々監視しており、自らの作業の重要性を認識している。今では、ユーザからも信頼され、何かトラブルがあるとすぐに呼ばれ、迅速な対応をもってユーザからも好感をもたれている。今日も加藤はT社の構内を飛び回っていることだろう。

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